こんにちは、はとです。

「美術の時間」はちょうど今から8年前の2013年11月15日、”臨床美術“という言葉の響きの共鳴から始まりました。
今朝、この記事を書こうと思って昔の手帳を引っ張り出して見てみたら、その時の出会いの瞬間が本当にピッタリ8年前で不思議な符合に驚きました。(本日2021年11月14日😲)

臨床美術がどういうものかということよりも、
「リンショウビジュツ」という言葉の音と字面、漢字の並びに「なに?それ?」と感じたことがそもそもの始まりで、そこに何かしら自分の真ん中に響いたものがあったのでしょうね。

その響きのままに今まで続けてこられたこと、ありがたいです。

きっかけとなった方とは現在も交流があり大変嬉しいご縁です。
きっと、真ん中で響いたことはブレなくすっと相手の真ん中へ渡され繋がっていくのかなあ、と想像します。

「美術の時間」で大切にしていることは、
その場の流れ、目の前に起きたことをそのまま観ることです。

これまで8年間でたくさんの方々に触れていただきました。
それぞれの方にそれぞれの表現があり、どれもこれも面白いなあと感じられ、
それぞれの作品を通して偶然居合わせた方々同士の交流が生まれるのを観させていただくことがなによりも嬉しいです。

大人も子どもも、立場も性別も状態も分け隔てなく包みこんで作られる時空間は、
時にぐっと痛く響くこともありながら、優しく心地よく感じられます。

「美術の時間」は、そこで終わることなく、その先へ繋がっていく体験が生まれる場を意図しています。

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2021年10月の美術の時間は

「線と色」

今回はどんな表現が飛び出すのやら、と、毎回ワクワク準備しています。

オンラインでは、遠く青森から空間を越えて、忙しいワーキングマザー親子が時間を超えて横浜から、

対面では、小学5年生の親子さまと16才のおともだちがご参加くださいました。

ご参加本当にありがとうございます😊
…..

自分の線は自分にしか描けなくて、
すごい良い線ですね、と言われても、
どうやればその線が描けるのかは、よくわからない。

シュタイナー美術教員養成講座でフォルメン線描を教わったとき、向こうから線がやってきて、それを受取って、その受け取った感じのまま丁寧に自分の前(中?)を通過して、次に渡していくように描くのだ、と聞いて、そのようにやってみたら、それを意識せずに描いた線との違いに驚いたことがある。どちらも自分の線であるにもかかわらず。
…….

線を描くというと、文字やイラストなど人に何かを伝える目的を通常は持っていることが多いですが、今回は、
何もイメージせず、目的なく、しかし意識して線を描くことを、わからないながらもともかく皆さんと楽しくやってみて、
飽きたころに(人によっては時間で区切られた感じがあったかもしれないですが)色に移ってみました。

↑オンラインご参加の方々

↑対面でご参加の方々

色は面積
広さにより感じが違ってくるのが面白い。
色が滲み広がり、隣り合わせた色とぶつかったときのそれぞれの色の振る舞いにドキドキしたり、滲む様そのものの動きの美しさに見惚れていたり、先ほど描いた線が色のその合間から浮き出てきて驚いたり、何も感じなかったり、やり過ぎてわけがわからなくなったり😆

線と色の中を自由に泳いで過ごした時間でした。
ありがとうございます♪

線を描くことについてはARTMANセミナー
@artman.kimiecha
での対話と体感を参考にしています。

2021.10.24 美術の時間

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